■三代 清水六兵衛 -きよみず ろくべえ-
生没年:1820(文政3)~1883(明治16)
出身地:京都
師:二代清水六兵衛、小田海仙(僊)
幼名:栗太郎 別号:祥雲
要職:京都府勧業場御用掛、第4回京都博覧会品評人、彦根藩湖東焼従事
主な受賞:第4回京都博覧会銅牌(明治8年)
第1回内国勧業博覧会鳳紋賞銀牌(明治10年)
名古屋博覧会銅牌(明治11年)
パリ万国博覧会銅牌(明治11年)
シドニー万国博覧会銅牌(明治12年)
アムステルダム万国博覧会賞状銀牌(明治16年)
代表作:陶製雪見燈籠(御所内小御所奉納)
■概要・その他
二代 清水六兵衛の次男として生まれ、はじめは紅花問屋に奉公に出ていたが、長男を七兵衛として分家させた為、1838年(天保9年)に18歳で三代六兵衛を襲名。
陶法は若くから父の元で手ほどきを受け、画法を当時、南画家として大成していた小田海仙(僊)に学ぶ。
その後、彦根藩主井伊家の招聘を受けて湖東焼に従事、1852年(嘉永六年)には禁裏御所よりの用命を受けて陶製六角雪見燈籠を製作、小御所に奉納した。
明治期に入ると、1872年(明治5年)には洋風式瓦(タイル)や硫酸壷、碍石(がいし)等の製造で京都府より表彰、さらに翌年には京都府勧業場御用掛を拝命、1879年(明治12年)には第4回京都博覧会品評人に就任、万国博覧会に積極的な出品をし続け、国内外で高い評価を受ける。
作域は二代からの伝統的な轆轤や箆削りを受け継いだが、さらに豪放さや粗放、豪快さを取り入れ大胆な作風を完成させる。
また、江戸後期、幕末~明治に移る中で西洋食器やタイル、ランプの碍子なども製作し、また、煎茶具では優雅で繊細な作品も多く残している。
困難な時代を乗り切る経営手腕と海外への出品など時代に沿った美的感覚で今日まで続く六兵衛様式の礎を築いた六兵衛中興の祖とされている。
印は六角枠内に大徳寺大綱和尚の筆による「清」の大小印が最も多く、彦根井伊家より拝領と伝わる六角内清印の六角ごとに鈴のついた鈴印、瓢型愚阿彌印、清六印、また、草書体六兵衛など。
参考資料1980年毎日新聞社刊「歴代六兵衛展」