吉岡堅二(よしおかけんじ)
吉岡堅二(1906〜1990)は、東京都本郷生まれ。父は日本画の吉岡華堂
日本画家・野田九浦に画を学んだ。藤田嗣治の友人の洋画家、高崎剛の留守宅を借りて住んだ際に制作した「奈良の鹿」で、わずか24歳にして帝展特選となる。
福田豊四郎・小松均と山樹社、豊四郎・岩橋英遠らと新日本画研究会。さらに新美術人協会を結成し日本画の革新運動を展開。大胆なフォルムの豪快な作風で画壇に新風を送り込んだ。戦後は、山本丘人・上村松篁・豊四郎・高橋周桑らと創造美術を結成。西洋と東洋を融合させた常に新傾向の日本画を追求し続け「伝統日本画の亡霊と闘う画家」と評された。
1930年 第11回帝展「奈良の鹿」で特選受賞
1933年 第14回帝展「小憩」で特選受賞
1948年 上村松篁、山本丘人らと創造美術(現・創画会)結成
1950年 芸術選奨文部大臣賞・「湿原」で毎日美術賞受賞
1971年 「鳥碑」で日本芸術院賞受賞
1959年 東京芸術大学で教鞭をとる
1966年 東京芸術大学中世オリエント遺跡学術調査団団員としてトルコのカッパドキアで壁画の模写
1967年 法隆寺金堂壁画再現模写
■落款印譜
吉岡堅二と関連のある作家
上村松篁(うえむらしょうこう)
山本丘人(やまもときゅうじん)
吉岡華堂(よしおかかどう)
野田九浦(のだきゅうほ)
高崎剛(たかさきつよし)