◼️池大雅 (いけの たいが)
池 大雅(いけの たいが) 享保8年5月4日(1723年6月6日) – 安永5年4月13日(1776年5月30日)は、日本の江戸時代の文人画家 (南画家)、書家。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな)、字は公敏(こうびん)、貨成(かせい)。日常生活には池野秋平(いけの しゅうへい)の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂(たいがどう)、待賈堂(たいかどう)、三岳道者(さんがくどうしゃ)、霞樵(かしょう)などが知られている。
1723(享保8)年、京都の町人の子として生まれ、その才能は早熟で、7歳のときに万福寺で書を披露し絶賛されている。柳沢淇園と出会い、絵を学ぶ。20代の模索の時代には、指頭画などにも挑戦。やがて、旅行や登山が好きだった大雅は、自らの足で歩き実際に見た景色を数多く描き真景図、中国絵画の模倣に終わらない、のびのびと大らかな画風を確立し定評を得ていく。20代半ばには、淇園の仲介により、13歳の木村蒹葭堂が大雅に入門した。明和8年に与謝蕪村と描いた《十便十宜図》は、日本近世の文人画の双璧による記念碑的合作である。安永5年没。
妻の玉瀾(ぎょくらん)も画家として知られる。
◼️池大雅の作品紹介
●池大雅画「二行書」