早川尚古斎は江戸時代の文化12年から現代まで続いている大阪出身の竹工芸家の名称で、その竹工芸技法は一子相伝で伝えられております。
初代 早川尚古斎 (1815~1897)
福井県鯖江市生まれ、本名は藤五郎。籠師の第一人者として活躍。京都にあった竹籠師で修業を積んで、弘化2年に大阪に移り「尚古斎」と名のるようになったのが始まりとされています。その作風は独自の創作性や感性をとり入れた唐物の写しを中心に制作しており、その技術力と完成度が認められ「浪華の籠師」と言われるほどでした。
◾️初代尚古斎作の花籃。共箱で蓋裏に八十一翁と明記があることから、81歳の時に作成した最晩年の作品だとわかります。初代が得意とした唐物写しの作品で、大胆さと繊細が融合した魅力的な作品です。
2代 早川尚古斎(1860-1905)
初代 早川尚古斎の三男。本名は武次郎。
1897年(明治30)に2代尚古斎を襲名。
1903(明治36)年の第五回内国勧業博覧会で二等受賞。
襲名の8年後の45歳で逝去したため、制作期間が短く、作品は少ない。
3代 早川尚古斎(1864-1922)
竹工芸家。大阪生。初代尚古斎の五男。本名は栄三郎。
尚斎の号を用いて東京で活動していたが、1905(明治38)年に実兄2代尚古斎が没したのを機に、大阪に戻り、3代尚古斎を襲名する。
1878年(明治11)パリの万国博覧会で、鳳紋賞受賞。
国内外の博覧会で様々な栄誉に輝いた。
1919年(大正8)に浪華藍友会結成に参加し、大阪における竹工芸の世界をリードし、近代竹工芸における象徴的存在となる。
自由な表現の荒編みなどを巧みにし、自由奔放な作風で名声を得た。
また、造形的調和を重視しつつ個人作家としての制作姿勢に徹した。
大阪工芸協会会員。
4代 早川尚古斎(1902-1977)
5代 早川尚古斎(1932-2011)
昭和後期~平成時代の竹工芸家。4代 早川尚古斎の長男。 大阪生まれ、のち京都に移転。本名は修平。
印名は「尚篁」 「尚古斎」「五世竹工尚古斎」「修」など。
早川家の伝統的なスタイルを保つとともに、組技法による新しい創意を加えた制作を続け、組みの技法に高い評価を得ている。
精緻な編みや自在な荒編みなど編組技法を手がけ、伝統と創作をテーマに竹という素材の持つ生命力を生かし、 清楚でありながらも重厚な力強さを表現し現代的な作品を展開している。
1965年(昭和40)に早川尚篁として大坂三越で初個展を開催。
その際、釜師で人間国宝の角谷一圭との知遇を得て翌年より日本伝統工芸会展に出品。
1951年(昭和26) 父四代尚古斎に師事、尚坡または尚篁と号す。
1966年(昭和41)の初出品・初入選以降毎年入選を重ねる。
1968年(昭和43)日本工芸会正会員。
1976年(昭和46)に日本伝統工芸展日本工芸会奨励賞を受賞。
1977年(昭和47)父の逝去に伴い5代尚古斎を襲名。
1992年(平成4)京都府無形文化財「竹工芸」保持者の認定。
1996年(平成8)日本伝統工芸展日本工芸会保持者賞(優秀賞)。
2002年(平成14)京都府文化賞功労賞などの受賞。
2003年(平成15)重要無形文化財「竹工芸」保持者(人間国宝)に認定される。
2011年(平成23)12月7日死去。79歳。