◾️柳沢 淇園(やなぎさわ きえん)/柳里恭
1703~1758 (元禄16~宝暦8)
幼名 権之助。
名をはじめ貞貴、元服後里恭(さととも)、のちに中国風に柳里恭(りゅうりきょう)と通称、淇園は号。
◾️略歴
甲府藩主柳沢吉保の筆頭家老曽根保挌の次男として生まれ、後に柳沢姓と次代藩主吉里の一字を拝領するに至り、柳里恭を名乗る。
幼少期より藩邸において文武諸芸を学び儒学を同藩儒官荻生徂徠、書を細井広沢に師事。また、画は狩野派を学んでいたが、形骸化していると批判し、長崎派の画家英元章に師事して中国画法を学び、また、独学にて元明の古画を研究して彩色精密な画法を研鑽、のちに服部南郭、祇園南海らと並び称され日本文人画の先駆といわれる。
また後の文人画隆盛の第一人者といわれる若き日の池大雅やその妻となる徳山玉蘭の才能を見出すなどその貢献は大きい。
◾️柳沢 淇園の作品
◼️柳沢淇園作「花篭図」