■小田海仙(小田海僊) -おだ かいせん-
生没年:1785年(天明5年)~1862(文久2)
出身地:周防国(山口県)出身
師:松村呉春
名:名は羸(るい)または瀛(えい)
字:巨海 通称:良平
号:海僊、海仙、百谷、百穀
■概要
染工の小田家の養子となった後、22歳の時に京に四条派画家の松村呉春の門に入り、松村景文、岡本豊彦などと名声を競い合っていたが、後に、頼山陽や中国元明の古蹟を追慕するようになり、南画に転向、画風を一変させ一家を築く。
1824年(文政7年)には萩藩の御用絵師として召され2年間江戸に滞在。
1854年頃画室に度々、当時19歳の富岡鉄斎が来宅し南画のほどきを受けていた。
山水・人物・花鳥・獣・魚など設色が巧みであり、清楚な画風を特徴とし、高野山、京都御所の障壁画なども製作。
1862年(文久2年)没、享年78歳。京都大徳寺黄梅院葬。