こんにちは、買取担当の長尾です。
今回は先日ご紹介した作家、小田海僊のエピソードから人物像に迫っていきたいと思います。
續江湖快心録(ぞくこうこかいしんろく)という書物の中で志水蕉雨(しみず しょうう)の談として 以下(原文まま) 「海僊はえらい癖のあるので畫を頼みに行っても言ひやうで六ヶしくなる然し其の愛玩の手爐とか何か褒めると急に機嫌がなほつてオ々お前は好事を知って居るそれでは之を見てくれと段々書畫珍器などを持ち出して見せるその實親切な上人間でした。」 とあります。
海僊だけでなくこの当時の画家や陶工といった人たちは偏屈な人が多かったようですが、今の人間と一緒で自分のコレクションを褒められるとこれもあれも見てーって機嫌がよくなるという単純さが面白いですね。
また、そのコレクションには王建堂の「山水画」や趙秋毅の「墨竹画」、同じく四君子の「掛軸」、「桃の如意」などもご自慢だったようで、金100疋(ソク)を持つといっていたそうです。金100疋?現在の金額ではどれくらいか解りませんが、きっと現在では美術館クラスの物なんじゃないでしょうか?
また、同書には儒学者で文人画家の貫名海屋(ぬきな かいおく)との繋がりも書いてあります。 貫名海屋は1778年生まれなので小田海僊よりも7歳年上なのですが、貫名海屋との仲はあまりよくなかったと書かれています。
理由は、貫名海屋は儒学者でありながら文人画いわゆる小田海僊の本職、南画にも手を出しているのが気に入らなそうです。だからいつも貫名が次は何をしでかすかと思っていたとか・・・。
志水蕉雨によるとそれもそのはずで海僊は松村呉春という大家の下で長年の修行を経て、十分な苦労の上の画家であるに対し、貫名海屋はいわゆる素人画だとしています。 現在ではどちらの画家も江戸後期南画の一家を成したとして評価されていますが、古い本を読んでみると当時の事がリアルに書かれていてとても面白いですね。 また、面白いエピソードがあればご紹介いたします。