◼️麻田辨自 (あさだ べんじ)
本名は弁次、旧姓中西。麻田辨自は、京都府出身の日本画家。麻田辨次として活動し、晩年には辨自と名乗ったため、一般的には辨自の名前で呼称されています。京都市立絵画専門学校在学中に出展した第3回帝展での初入選をきっかけに、若くして美術界で注目され、以後も帝展や晨鳥社展、日展などに出展を重ね、多数の賞を受賞。後年も精力的な創作活動を続けると共に、日展評議員や晨鳥社顧問を務め、功労者としても美術界から高く評価されています。
昭和2年上村松園の弟子、麻田ツルと結婚し麻田姓を名乗る。13年西村五雲の没後は山口華楊らと新・晨鳥社を結成、特別研究会委員となる。16年最初の個展を京都・大丸で開催、花鳥画家としての歩みを確かなものにする。戦後は21年秋の第2回日展から入選を重ね、25年第6回日展に「樹蔭」で特選・白寿賞を、27年にも特選・白寿賞を受賞する。28年第9回日展で審査員、33年日展評議員となり、文部大臣賞を受賞。40年第7回新日展に出品した「潮騒」で日本芸術院賞を受賞した。京都市文化功労者。日展参与・参事、晨鳥社顧問。昭和59年没。享年84才。