はじめまして、買取担当スタッフの上野です。
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先日は、京都国立博物館の「特別展 池大雅 天衣無縫の旅の画家」に行ってまいりました。
仕事柄といいますが、何より、書画が好き私は展覧会には出来るだけ見に行くようにしています。
池大雅は文人画、南画で有名ですが、七歳にて書の神童といわれ、早熟の画家で二十代から活躍。でも、日本では85年ぶりの個展でした。
今回は池大雅の作品を重要文化財作品も合わせ200点ほどの作品を一挙に観覧できました。
池大雅とは? wikipedia引用
池 大雅(いけの たいが、 享保8年5月4日(1723年6月6日) – 安永5年4月13日(1776年5月30日))は、日本の江戸時代の文人画家、書家。幼名は又次郎(またじろう)など。諱は勤(きん)、無名(ありな)、字は公敏(こうびん)、貨成(かせい)。日常生活には池野 秋平(いけの しゅうへい)の通称を名乗った。雅号は数多く名乗り、大雅堂(たいがどう)、待賈堂(たいかどう)、三岳道者(さんがくどうしゃ)、霞樵(かしょう)などが知られている。
妻の玉瀾(ぎょくらん)も画家として知られる。弟子に木村兼葭堂などがいる。与謝蕪村とともに、日本の文人画(南画)の大成者とされる
やっぱり天才だった、神童「池大雅」
今回の展覧会では、池大雅12歳の作品がご覧いただけます。
書の作品ですが、力強く、歪みのない文字は八歳にして、神童と言われた片鱗が実際に見て伺えます。
「オモシロ夫婦」鬼才の相手もやはり、奇才!?
池大雅の妻、玉瀾(ぎょくらん)とは、少々風変わりな夫婦だったようです。
ある時、家に訪れた客人を見送りに、そのまま、何も言わず数日家を空け、富士山のふもとまで見送りに・・
しかも、帰ってきた大雅に奥さん(玉蘭)は普通に「お帰り~」と声をかけたのだとか・・。
また、ある日は、夫の池大雅が出かける時に仕事道具の筆を忘れてしまいました。
それに気づいた玉蘭が後を追い、大雅に筆を渡したところ、彼は玉蘭だと気付かず、「どなたか知りませんが、筆を拾っていただきありがとうございます」と礼を言いました。
普通なら「何言うてんねん!ワタシやろ!」と答えるはずですが、玉蘭は、何事もなかったように自宅に戻ったといわれています。
いやー、やはり○○と天才は紙一重と言いますか、夫婦揃って天才肌だったようです。それを表すように、妻の玉蘭も結婚後には書画を学び、多くの作品を残しています。
一見相手に興味を持たず、周りからは不仲のように見えたかもしれませんが、二人で三味線と琴を弾きながら歌い、本当に仲の良いオシドリ夫婦。安永五年(1776年)4月13日、大雅は、静かにその生涯を閉じますが、大雅は、玉蘭のために数百点の作品を描き残して、先に逝ったといいます。
言葉を交わさずとも通じ合っていたのでしょうね。作品だけでなく、池大雅の人間像まで垣間見えるとても良い展覧会でした。ぜひ、皆様も良い美術ライフを。
これからも、よろしゅう、おたのもうします。