富岡鉄斎(とみおかてっさい)
日本最後の文人として知られる富岡鉄斎(1836~1924)。
京都で商家の次男として生まれる。名は百錬、字は無倦、号は鉄斎のほか鉄道人・鉄崖・鉄叟など。幼少の頃から漢学・国学・儒学等、幅広い教養を身につけ、歌人太田垣蓮月尼の書生となり、その清廉な人格と文雅風韻な生活に大きな影響を受ける。画ははじめ小田海僊、浮田一蕙らに学ぶが、流派を問わず広く手本として、斬新な構図や色彩感覚で独自の画風を開いた。幕末は勤王家として国事に奔走、維新の頃より学者として知られるようになり、教員や大和石上神社・大和大鳥神社の宮司職に就いた。各種展覧会の審査員をつとめるが、学者としての立場から自らは出品しなかった。同30(1897)年、田能村直入らと日本南画協会を設立。大正6(1917)年帝室技芸員、同8(1919)年帝国美術院会員となった。晩年は画業に専念する。学者としての姿勢を貫きながら多彩な作品を手がけ、文人画の重鎮となった。
富岡鉄斎と関連のある作家
大田垣蓮月(おおたがきれんげつ)
小田海僊(おだかいせん)
浮田一蕙(うきたいっけい)
田能村直入(たのむらちょくにゅう)