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【買取作家】木庵禅師(木庵性瑫)【もくあん しょうとう】中国の明から渡来した黄檗派の僧

◼️ 木庵禅師(もくあん

万暦39年(1611年)- 貞享元年(1684年)
木庵は16歳で出家して開元寺の印明の門に入った。28歳の時には、金粟山の費隠通容に参禅した。費隠の許で、副寺・侍者から知賓を経て維那にまでなった。
江戸時代前期に中国の明から渡来した臨済宗黄檗派(黄檗宗)の僧。俗姓は呉氏。福建省泉州府晋江県の出身。
隠元に招かれ、長崎福済寺住持となり、のち宇治黄檗山万福寺第二代住持、江戸紫雲山瑞聖寺開山となる。
黄檗三筆の一人。勅諡号は慧明国師。

1654年に来日していた隠元に招かれ1655年に来日、長崎の福済寺の住持となった。1660年に摂津国の普門寺、1661年山城国宇治の黄檗山萬福寺に入り、1664年9月4日、隠元の法席を継いだ。1665年江戸にくだり4代将軍徳川家綱に謁見し、優遇された。江戸紫雲山瑞聖寺を初め10余寺を開創し、門下も50余人に及んだ。1669年、将軍より紫衣を賜った。

1680年2月、黄檗山の法席を第3代の慧林性機に譲り、山内の紫雲院に隠退した。1684年1月20日、病により没した。享年74。

能書家としても知られ、その書風は中国人ならではのものがあり、隠元・即非とともに黄檗三筆と称されている。三人には共通した書風があり、隠元の「穏健高尚な書」・木庵の「雄健円成な書」・即非の「奔放闊達な書」と評され「唐風」あるいは「黄檗風の書」として珍重されている。

◼️木庵性瑫の作品紹介


●木庵性瑫作

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【買取作家】川瀬竹春【かわせ ちくしゅん】中国陶器の写しで名高い陶芸家

◼️ 川瀬竹春(かわせ ちくしゅん)

祥瑞特有の織物風の地に華やかな色彩を施した赤絵、金欄手を得意とし、中国の技法を用いながら淡然とした日本的趣をたたえた作風を示す。宮内庁への上納もたびたび行なっている。

赤絵染付をよくした陶芸家川瀬竹春は肺炎のため神奈川県平塚市高根台病院で死去した。享年89。

明治27年 岐阜県福束村に生まれる。本名五作。
明治40年 愛知県瀬戸で陶芸の修業を始め
明治43年 京都に移り初代三浦竹泉に師事。
大正8年 独立。中国陶磁赤絵染付祥端を主に研究。
昭和15年 中国に赴く。
昭和24年 神奈川県大磯の城山窯で制作。岐阜県大垣でも研究を進める。
昭和30年 国の無形文化財として記録作家に推される。
昭和41年 紫綬褒章
昭和44年 大垣市重要無形文化財に認定。

祥瑞特有の織物風の地に華やかな色彩を施した赤絵、金欄手を得意とし、中国の技法を用いながら淡然とした日本的趣をたたえた作風を示す。宮内庁への上納もたびたび行なっている。

◼️川瀬竹春の作品紹介


●川瀬竹春作「捻文蓋茶碗」

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【買取作家】若尾利貞【わかお としさだ】琳派の様式美を現代の感性で再構成

◼️ 若尾利貞(わかお としさだ)

岐阜県の重要無形文化財保持者。
独学でやきものに取り組み、琳派の様式美を現代の感性で再構成、昇華させた鼠志野の第一人者として広く知られる。若い頃、陶磁学者の小山富士夫氏の作陶の手伝いを通じて多くのことを学び、その豊かな知識を作品に昇華させた技術は、氏の中心の仕事である志野や鼠志野以外の作品においても、その道を専門とする作家に拮抗する作品を生み出している。

用いる技法の種類に「黄瀬戸」「瀬戸黒」「志野」「織部」の4種。研究を続けながら1970年に独立する。その後、数々の賞を獲得しこの技術が多大な功績を残したということで1995年多治見市無形文化財技術保持者に指定。2003年岐阜県重要無形文化財保持者に認定された。

 

◼️若尾利貞の作品紹介

●若尾利貞作「志野茶碗

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【買取作家】池田遙邨【いけだ ようそん】ユーモアに富んだ独自の風景画

◼️ 池田遙邨(いけだ ようそん)

1895年~1988年。92才没。岡山県倉敷市に生まれ、本名は池田曻一。遙村、遙、遙山人と号する。幼少より画才があり、1910年に大阪の松原三五郎が主宰する天彩画塾に入門し油絵を学ぶ。1919年に小野竹喬を頼って京都に出て、竹内栖鳳の画塾に入門し日本画に転向する。知恩院に仮寓しながら、「遥村」と号した。1921年京都市立絵画専門学校に入学し、この頃よりムンク、ゴヤらの影響を受ける。1923年に洋画家・鹿子木孟郎とともに関東大震災後の東京を写生する。1924年に帝展落選後、1年間の放浪の旅に出て1928年には安藤広重の版画に傾倒し東海道を踏破する。1936年に上村松篁らと水明会、1937年に浜田観らと葱青社を結成する。1976年に日本芸術院会員に選任され、1987年文化勲章を受章する。享年92。代表作は<夜><朧夜>などがある。

◼️池田遙邨の作品紹介


●池田遙邨画「鷹
図」

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【買取作家】奥谷秋石【おくたに しゅうせき】円山四条派を伝え育成

◼️奥谷秋石 (おくたに しゅうせき)

明治4 (1871)大阪~昭和11(1936) 日本画家。はじめ重春塘に学び、のちに森寛斎に師事して山水花鳥を能くした。代表作に《松溪風雪遊鹿山水之図》などがあり、多くの門人を養成して円山派の醸成に尽くした。明治・大正・昭和初期を通して京都画壇に重きをなし、当時の名家一覧にその名が記載されている。

◼️奥谷秋石の作品紹介

●奥谷秋石画「蓬莱山水図」

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【買取作家】渡辺清【わたなべ きよし】名古屋の上手

◼️渡辺清 (わたなべ きよし)

安永7(1778)愛知~文久元(1861) 絵師。号は周渓、別号に雪朝。縫箔を生業とする利平の子として名古屋本町に生まれる。吉川英信・義信に学ぶが、京都に出て土佐光貞や田中訥言に習う。人物花鳥画を得意とし、復古大和絵派画家の一人で、特に有職故実に精通していた。最後には名古屋にもどり大和絵一派を築く。

◼️渡辺清 の作品紹介


●渡辺清画「花鳥図」

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【買取作家】竹内栖鳳【たけうち せいほう】近代日本画の先駆者

◼️竹内栖鳳(たけうち せいほう)

元治元年11月22日(1864年12月20日) – 昭和17年(1942年)8月23日)戦前の日本画家。最初は棲鳳と号した。近代日本画の先駆者で、画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。帝室技芸員。第1回文化勲章受章者。円山四条派の伝統的写生を基本としながら、その中に西洋画の写実性を取り入れた新画法を生み出した。文展開設に際し審査員を務め、以後官展を中心に意欲作を発表。画塾竹杖会を主宰するなど後進の育成にも熱心に取り組み、多くの逸材を輩出した。

京都に生まれる。1877年(明治10年)に四条派の土田英林に絵を習い始める。1881年(明治14年)の17歳の時に同派の名手として知られた幸野楳嶺の私塾へ正式に入門する。この頃から頭角を現し、翌年には私塾の工芸長となり、「楳嶺四天王」(栖鳳と都路華香、谷口香嶠、菊池芳文の高弟4名を指す)の筆頭と呼ばれるようになる。

1887年(明治20年)、23歳の時に結婚し、これを機に絵師として独立する。同年、京都府画学校(現:京都市立芸術大学)修了。1889年(明治22年)には京都府画学校に出仕し、京都の若手画家の先鋭として名をあげてゆく。また1900年(明治33年)、36歳の時には、7ヶ月かけてヨーロッパを旅行し、ターナー、コローなどから強い影響を受けた。

◼️竹内栖鳳の作品紹介

◼️竹内栖鳳と関連のある作家

幸野楳嶺(こうのばいれい)幸野楳嶺(1844-1895)
橋本関雪(はしもとかんせつ)橋本関雪(1883〜1945)
上村松園(うえむらしょうえん)上村松園(1875〜1949)
西山翠嶂(にしやますいしょう)西山翠嶂(1879〜1958)
土田麦僊(つちだばくせん)土田麦僊(1887-1936)

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【買取作家】富田溪仙【とみた けいせん】近代的感覚にあふれる画風

◼️富田溪仙(とみた けいせん)

富田渓仙は、大正時代から昭和にかけて活躍した日本画家です。1879年(明治12)〜1936年(昭和11)57才没。富田渓仙は、福岡県博多生まれで、本名は鎮五郎です。字は隆鎮、別号に雪仙、渓山人などがあります。

狩野派を学んだ後、京都に出て都路華香に師事し、四条派の絵画を学びます。
その後、仙厓義梵、富岡鉄斎に師事し、各地を旅し幅広い研鑽を積みました。
文展初入選作の「鵜船」が横山大観に認められ、この作品が代表作のひとつとなります。
さらに再興 日本美術院の展覧会に出品した「宇治川の巻」が高い評価を受け、この功績により、日本美術院同人となりました。

1922年にはアメリカでの日本美術院米国展に「祇園夜桜」を出品して話題を呼びます。
フランスの詩人のポール・クローデルや俳人河東碧梧桐との交遊も知られています。
ポール・クローデルとは「皇城十二景」「四風帖」などを合作しました。
清新な自然観で描かれた情感豊かできれいな色使いの作品はたいへん人気があります。
京都の景色を描いた風景画が得意で、大胆で自由奔放な表現で描き、また、絢爛な色彩も特徴です。大胆に形状を変化させたり省略しするなど、清新な自然観で描かれた情感豊かできれいな色使いの作品はたいへん人気があります。

◼️富田溪仙の作品紹介

●冨田溪仙画 「最勝護図」

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【買取作家】加納銕哉【かのう てっさい】古典技法の修熟に努めた画家・彫刻家

◼️加納銕哉(かのう てっさい)

加納銕哉(かのう てっさい)は、江戸末期から大正時代に活躍した岐阜県出身の彫刻家で、本名は光太郎です。幼少期から父親・鶴峰から彫刻と絵画を学びます。彫刻や仏画、木彫に加えて根付や鉄筆画でも広く知られています。作品では「三蔵法師」が有名です。

家は名家でしたが、後に家は没落します。その後、出家して禅宗寺院に入り、根付や仏画を研究。明治元年には僧籍を離れて俗人に戻り、尾張地方を巡って鉄筆画の技法を研究し、上京すると鉄筆画・彫刻を職としながら日本と中国の古美術を研究を始めます。1881年の第2回内国勧業博覧会では、作品「竹製扁額」が妙技3等を受賞します。

一方悪戯半分に自他を問わず贋作を作るという茶目っ気もあり、そのうち、「贋銕哉」も出現するはめになることになり、弟子の銕琅を悩ませるくらいだったと言われている。

◼️加納銕哉の略歴

1845年 美濃国(現:岐阜県)に加納甚左衛門の次男として生まれる
1858年 美濃長良の崇幅寺に入り僧の修行をする
1863年 19歳で正眼寺に移る
1868年 還俗
1874年 上京し、鉄筆画、彫刻を業とする
1881年 第二回内国勧業博覧会に出品した「竹製扁額」が妙技3等を受賞
1888年 東京美術学校が開設され教授に任命されるが翌年自ら職を辞す
1921年 奈良にアトリエ「最勝精舎」を建てる
1925年 「売茶翁像」完成後、病に臥せ死去。享年81歳

◼️加納鉄哉の作品紹介

●加納鉄哉画「悪鬼退散」

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【買取作家】内藤光石【ないとう こうせき】昭和初期の京大仏師

◼️内藤光石(ないとう こうせき)

明治期ー昭和の初期に活躍されました、京大仏師『内藤光石』氏

 

◼️内藤光石の作品紹介


●内藤光石作「寶槌」

【買取作家】黒田正玄【くろだ しょうげん】400年続く千家十職のひとつ

◼️黒田正玄(くろだ しょうげん)

千家十職のひとつ。竹細工・柄杓(ひしゃく)師を務める400年続く家系。

製品は柄杓、台子、香合、花入等を始めとした竹細工全般に及び、家元茶杓の下削りも手掛けています。明治維新に至るまで将軍家御用柄杓師を務めました。

初代 黒田正玄 1578年(天正6年)~1653年(承応2年)

初代黒田正玄は越前国黒田郡の出身で、名を七郎左衛門(後に正玄)、俗称を日参正玄といいます。当地の丹羽長重に仕えますが、長重が関ヶ原の戦いで改易された為、剃髪して「正玄」と改名し、近江国大津で竹細工を業としました。
「天下一」と称されていた一阿弥に師事したとされています。
後に上京して小堀遠州に茶の湯を学び、その推挙で将軍家御用柄杓師を務めました。
茶の習得に遠州に日参した為、「日参正玄」と呼ばれました。大徳寺156世江月宗玩に参禅した事でも知られています。

2代 黒田正玄 1626年(寛永3年)~1687年(貞享4年)

2代黒田正玄は初代黒田正玄の三男として生まれました。名を宗正(後に正玄)といいます。小堀遠州の推挙で3代将軍・徳川家光の御用柄杓師を務めました。

3代 黒田正玄 1656年(明暦2年)~1717年(享保2年)

3代黒田正玄は2代黒田正玄の長男として生まれました。
名を弥助(後に正玄)、号を正斎といいます。
5代将軍・徳川綱吉の御用柄杓師、表千家6代覚々斎宗左、久田家3代徳誉斎宗全の御用を務めました。1704(宝暦元)年、長男・弥吉に家督を譲って隠居し、「正斎」と号しました。

4代 黒田正玄 1692年(元禄5年)~1731年(享保16年)

4代黒田正玄は3代黒田正玄の長男として生まれました。
名を弥吉(後に正玄)といいます。5代徳川綱吉の御用柄杓師、表千家6代覚々斎宗左の御用を務めました。この代より千家職家となりました。

5代 黒田正玄 1708年(宝永5年)~1778年(安永7年)

5代黒田正玄は4代黒田正玄の養子です。
名を才次郎(後に正玄)といいます。8代徳川綱吉の御用柄杓師、表千家7代如心斎宗左、裏千家8代一燈宗室、武者小路千家7代直斎宗守の御用を務めました。

6代 黒田正玄 1747年(延享4年)~1814年(文化11年)

6代黒田正玄は5代黒田正玄の次男として生まれました。
幼名を正次郎、名を弥吉(後に正玄)、号を弄竹斎・玄同といいます。
10代徳川家治の御用柄杓師、表千家8代啐啄斎宗左、裏千家9代石翁宗室、武者小路千家8代休翁宗守の御用を務めました。上京町年寄を務めました。

7代 黒田正玄 1768年(明和5年)~1819年(文政2年)

7代黒田正玄は6代黒田正玄の養子です。
幼名を弥三郎、名を弥吉(後に正玄)といいます。
11代徳川家斉の御用柄杓師、表千家9代了々斎宗左、裏千家10代認徳斎宗室、武者小路千家9代好々斎宗守の御用を務めました。上京町年寄を務めました。

8代 黒田正玄 1809年(文化6年)~1869年(明治2年)

8代黒田正玄は7代黒田正玄の長男として生まれました。
幼名を熊吉、名を弥吉(後に正玄)といいます。
12代徳川家慶の御用柄杓師を務めましたが、明治維新によって将軍家の庇護を失いました。

9代 黒田正玄 1837年(天保8年)~1859年(安政6年)

9代黒田正玄は8代黒田正玄の養子です。
幼名を弥一郎、名を弥吉といいます。早世しました。

10代 黒田正玄 1825年(文政8年)~1900年(明治33年)

10代黒田正玄は8代黒田正玄の婿養子です。
名を利助(後に正玄)といいます。
9代黒田正玄が早世した為、師・8代黒田正玄の養子となって10代黒田正玄を襲名しました。1881(明治14)年、長男・熊吉に家督を譲って隠居しました。次男・宗伝も家業に従事しました。

11代 黒田正玄 1869年(明治2年)~1911年(明治44年)

11代黒田正玄は10代黒田正玄の長男として生まれました。
名を熊吉(後に正玄)といいます。
表千家11代碌々斎宗左、裏千家12代又玅斎宗室、武者小路千家11代一叟宗守の御用を務めました。1881(明治14)年、11代黒田正玄を襲名しました。

12代 黒田正玄 1880年(明治13年)~1973年(昭和48年)

12代黒田正玄は11代黒田正玄の長男として生まれました。
名を久万吉(後に正玄)といいます。
父が逝去した時に未だ幼少であった為、黒田常次郎が後見となりました。

13代 黒田正玄 1936年(昭和11年)~2017年(平成29年)

13代黒田正玄は本名を正春といいます。
1966(昭和41)年、13代黒田正玄を襲名しました。

14代 黒田正玄 1967年(昭和4年2)生まれ

14代黒田正玄は13代黒田正玄の長女として生まれました。
本名を益代といいます。
2014(平成26)年、14代黒田正玄を襲名しました。

 

◼️黒田正玄の作品紹介

●黒田正玄作「竹扇子掛 即中斎書付」

 

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【買取作家】楠部 彌弌【くすべ やいち】独自の技法彩埏

◼️楠部 彌弌(くすべ やいち)

楠部彌弌(くすべやいち)は、明治30年に京都で生まれた陶芸家です。
日本の陶芸界の重鎮として京都で活躍した文化勲章受章者の陶芸家です。父親は陶器工場を経営しており幼い頃から様々な陶器を目にしてきました。彼の作品は色絵や金彩、染付など多岐多彩にわたるが、中でも「彩埏」と呼ばれる彌弌独自の加飾法は高く評価されています。晩年の優美でモダンな印象の花瓶や香炉などは国内外の愛好家にも人気があります。

◼️略歴

1897年 京都市東山区に楠部貿易陶器工場を経営する父千之助の四男として生まれる。
1912年 京都市立陶磁器試験場付属伝習所に入所。
1918年 赤土社結成に参加。作陶生活を開始。
1924年 パリ万国博覧会に「百仏飾壷」を出品し受賞。
1927年 第8回帝展で「葡萄文花瓶」が初入選。
1933年 第14回帝展で「青華甜瓜文繍文菱花式龍耳花瓶」が特選を受賞。燿々社を結成する。
1936年 パリ万国博覧会で「色絵飾壷」を出品し受賞。
1951年 第7回日展で「白磁四方花瓶」が日展文部大臣賞を受賞。
1953年 博埴会と青陶会を結成する。
1954年 日本芸術院賞を受賞。
1962年 日本芸術院会員となる。
1978年 文化勲章受賞。
1982年 日本新工芸家連盟会長に就任。
1984年 慢性ジン不全のため京都で逝去。享年87歳。

 

◼️楠部 彌弌の作品紹介

●楠部 彌弌作「仙果彩埏 香爐」


●楠部 彌弌作「鈞窯獅子 香爐」

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